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熊本地方裁判所 昭和33年(ワ)490号 判決 1960年4月26日

原告 江藤忠夫 外一名

被告 合名会社一商店 外一名

主文

被告等は、連帯して各原告に対し、各金十万円及びこれに対する昭和三十二年六月十三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告等のその余の請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用は、これを二分し、その一を原告等の、その余を被告等の各連帯負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は、「被告等は、連帯して各原告に対し、各金四十万円及びこれに対する昭和三十二年六月十三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は、被告等の負担とする」との判決並びに保証を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

「被告中島貞義は、被告会社の従業員として、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和三十二年六月十三日午後五時三十分頃、被告会社の業務執行のため、小型貨物自動三輪車を運転し、熊本市西通町から同市鍛治屋町方面に通ずる道路を同方向に向い、時速約二十粁の速度で進行し、右西通町二十五番地原告等方前附近の路上に差掛つたものであるところ、凡そ自動車運転の業務に従事するものとしては、絶えず進路の前方左右に注意を怠らず、万一衝突等の虞れがあるときは、急停車の措置を講ずる等事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、自己車の進行方向の右側で建築作業中の人夫等に注意を奪われたまゝ漫然と進行した過失により、折柄進行方向の右側から左側へ道路を歩行横断中の原告等の長女亡江藤貴久子(当時満一年十一月)に気付かず、車の右前部フエンダー附近を同女に衝突させて同女を路上に顛倒させ、更に右後車輪で同女の胸部及び腹部を轢き、よつて即時同所において同女を死亡するに至らせた。

以上の次第で、原告等は一瞬にして長女を失うという重大な精神的苦痛を与えられたが、右の損害は、被告中島の前記のような不法行為に基くものであるから、同被告が原告等の右損害を賠償すべきは当然であるが、同時に、同被告は、右当時、被告会社の業務執行のため車を運転していたものであるから、被告会社も亦、自動車損害賠償保障法第三条の規定に基き、被告中島と共に、原告等の蒙つた右損害を賠償する義務がある。

しかして、原告等の蒙つた右精神上の損害を金銭に換算するに、当時亡貴久子が原告等の唯独りの子供であつて、原告等が貴久子に寄せる期待と愛情は大きく、これを瞬時にして失つた原告等の悲歎は測り知れないものがあることを考慮すれば、各金四十万円をもつて相当慰謝料額と算定すべきである。

よつて、原告等は、被告に対し、連帯して各原告に金四十万円及びこれに対する事故発生当日の昭和三十二年六月十三日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ」と述べ、なお、被告等主張の事実中、本件事故により、原告等が近く自動車損害賠償保障法に基き、保険会社から合計金十三万千九百十七円の保険金を受領する予定であること及び原告等が被告会社から見舞金として金一万円を受領した事実は、いずれも認めるが、原告等は、右保険金を未だ現実に受領していないから、右受領予定の事実は被告等に対する慰謝料請求権になんらの影響を及ぼさないことはもちろん、給付予定金額が賠償慰謝料額から控除さるべきでないことも当然である。また、本件事故発生に関し、原告等に過失があるとの点は否認する。当時、原告等は、被傭者たる女中をして貴久子の監視に当らしめていたものであるから、原告等には、監護上遺漏な点はない。尤も、事故発生につき、右女中に過失のあつた事実はあるが、だからといつて、それが直ちに原告等の過失となるものではない。と述べ、立証として、甲第一乃至十三号証を提出し、原告江藤嘉代子本人の供述を援用し、乙号各証の成立を認める、と述べた。

被告等訴訟代理人は、「原告等の請求は、いずれもこれを棄却する、訴訟費用は、原告等の連帯負担とする」との判決並びに被告等敗訴の場合、保証を条件とする仮執行免脱の宣言を求め、答弁及び抗弁として、

「原告等主張の請求原因事実中、被告中島が被告会社の従業員として自動車運転の業務に従事していること、被告中島が、原告等主張の日時、場所において、その運転する自動車のフエンダー附近を原告等の子供の江藤貴久子に接触させて同女を路上に顛倒させ、更に車の後輪で同女を轢き、よつて同女を死亡させたこと及び事故発生当時、被告中島は、被告会社の業務執行のため車を運転していたことはいずれも認めるが、右事故が被告中島の過失に基くとの点は争い、その余はすべて知らない。(一)本件事故は被害者貴久子が自ら招いたもので、被告中島には、なんらの過失もない。すなわち、同被告は、当時、制限時速三十五粁以下である時速三十粁の緩速度で車を運転しており、且つ、進路前方に対する注視等運転に関する各種注意義務を怠らなかつたが、本件事故現場直前一、二米の地点に差掛つた際、突如として被害者が車の進路に飛込んできたゝめ、同被告としては、被告者を避けるに術なく、遂に本件事故の発生をみたものであつて、同被告には、なんらの過失もないのである。また、(二)本件事故の発生につき、原告等には重大な過失があつた。すなわち、事故現場附近は、車輛の往来頻繁な街路であるが、かゝる場所に満二才足らずの幼児が単独で、しかも大人用のサンダルを履いて遊びに出るのを放置して顧みなかつた原告等の行為は、現代の都市に生活する者として、あまりに不注意に過ぎる態度であり、この点本件事故の発生につき原告等には重大な過失があつたといわなければならないのであるが、仮に、当時、原告等の被傭者たる女中に被害者たる貴久子の監護を委ねていたとしても、その監視態度たるや前記のような本件事故発生当時の情況に照し、不注意極まるものであり、この点右女中に直接の過失があるが、右女中の過失は、即ち、雇傭者たる原告等の過失があると同視されるべきである。

以上の理由により、被告中島はもちろん、被告会社も自動車損害賠償保障法第三条但書の規定に基き、本件事故による原告等の損害を賠償するなんらの義務もないのであるが、仮に被告等に賠償義務ありとするも、賠償額の算定につき前記のような原告等の監護上の過失は当然斟酌されるべきであり原告等は、本件事故により蒙つた損害については、近く同法に基き保険会社から合計金十三万千九百十七円の保険給付を受けることゝなつているから、被告等の負担すべき賠償義務はこれによりすべて消滅したというべきであるが、仮に然らずとするも、右給付予定額が賠償額より当然控除さるべきは勿論被告会社が原告等に対し見舞金として金一万円を交付した事実も亦当然斟酌されるべきである」と述べ、立証として乙第一乃至三号証を提出し、証人林亘の証言及び被告中島貞義本人の供述を援用し、甲号各証の成立はいずれも認める、と述べた。

理由

原告等主張の日時、場所において、被告会社の使用人である被告中島が、同会社の業務執行のため自動車を運転中、車のフエンダー附近を原告等の子供の貴久子に接触させて同女を路上に顛倒させ、更に車の後輸で同女を轢き、その結果同女を死亡させたこと及び本件事故後に被告会社が原告等に対し見舞金として金一万円を交付したことは、いずれも当事者間に争がない。

そこで先づ、本件事故が被告中島の過失により惹起されたものかどうかについて判断する。

成立に争のない甲第四、五、六、十、十一、十二、十三号証及び証人林亘の証言並びに被告中島貞義本人の供述を綜合すれば、同被告は、自動三輪車を運転して、熊本市西通町九州商船事務所前附近を出発し、同町から西南方へ同市鍛治屋町方面に通ずる巾員約十米余の道路の中央部乃至稍その左寄り附近を同方向に向い、時速約二十粁の速度で進行したが、右出発直後、本件事故発生現場の前方約十五米の地点において、自車の進行と反対方向に進行する右九州商船事務所の自動三輪車と離合し、その際同三輪車の運転手が偶々同被告人の友人であつたので、車中から挨拶を交し、その直後、進路右前方の原告等方江藤病院前(本件事故現場)附近に、当時同所で工事作業中の人夫四、五名の姿を認めたが、右作業中の人夫等に気を奪われて、前方注視が不完全であつたゝめ、右事故現場前約十五米の地点からは江藤病院前附近を充分見通すことができたに拘らず、折柄同病院前から大人用サンダルを履いて道路を歩行横断中の被害者貴久子(当時一年十一月)の姿に全く気がつかず、単にハンドルを幾分左に切つて、進路を稍左に転じた以外は、警音器の吹鳴、徐行、或は停車等なんらの措置を講ずることなく、そのまゝ進行して同女に車を衝突させたこと及び、右衝突まで同女の姿に全く気付かなかつたことが認められ、他にこの認定を左右する証拠はない。

ところで、自動車を運転する者は、運転中は絶えず、細心の注意を以て前方を注視し、自車の進行途上に現れる人馬車輛等を速かに発見した上、該対象の運動に即応して適宜の措置を講じ、以て接触、衝突等事故の発生を末然に防止すべき注意義務のあることは言うまでもないのであるが、前認定の事実によれば、少くとも事故発生現場前約十五米の地点にあつては、同被告において、前方注視を怠らず、通常の注意を払えば、容易に貴久子の姿を発見できた筈であり、発見しておれば、充分の余裕を以て同女の行動を観察し、以て事故の発生を防止すべき適宜の措置をとりえたであろうことは想像するに難くないのであつて、この点、本件事故は、被害者側の過失は暫く置き、同被告が前方注視義務を懈怠した過失により惹起されたものといわなければならないから、同被告は右事故によつて発生した損害を賠償する義務があり、同被告は、本件事故発生当時、被告会社の業務執行のため車を運転していたものであるから、被告会社も亦、原告等に対し、その損害を賠償すべき責任を免れないことゝなる。

そこで、進んで、本件事故により原告等が蒙つた慰謝料額につき判断する。

先ず、被告等の過失相殺の抗弁について按ずるに、被害者貴久子は当時僅か二才足らずの幼児であつて、行為の責任を弁識するに足るべき知能を有しなかつたものであるから、本件被害について、同女に過失の責を負わせることはできないが、かゝる場合、責任無能力者たる被害者の監護義務者である原告等に過失があれば、これを慰謝料額の算定につき斟酌すべきであるところ、前認定のように、当時被害者貴久子は一年十一月の幼児であつて漸く歩行を覚えた年頃であり、且つ前顕甲第十号証により明らかなとおり、本件事故現場附近は、熊本市内の中心部に近く、交通頻繁な街路であるに拘らず、成立に争のない甲第五、六、九号証、原告江藤嘉代子本人の供述及び本件口頭弁論の全趣旨を綜合すると、事故発生当時、原告等は、貴久子が大人用サンダルを履いて往来に出るのをなんら制止又は監視せず、漫然とこれを放置していたこと、尤も、原告等は、共に医師として繁忙な生活を送つている関係上、貴久子の日常の監護は、主として被傭者たる女中池田某の手に委ね、且つ、同女に対しては常日頃、貴久子を往来で遊ばせないよう注意してはいたが、他に事故防止について特段の注意を払つていなかつたのみならず、同女の選任、監督についても万全の措置を講じた形跡のないことが窺えるのであつて、この点右池田某に直接過失の責があるとしても貴久子の両親としてその保護監督に当るべき原告両名の側にも本件事故の発生につき責の一半を免れえないものというべきである。

しかして、原告等が本件事故により長女の急死に遭い、その精神上蒙つた苦痛の甚大であることは当然であるが、以上認定のとおり、原告等の職業、原被告双方の過失の軽重及び成立に争のない甲第一号証により認められるとおり、本件事故当時、被害者貴久子が原告等の唯独りの子供であつた事実その他諸般の事情を彼此勘案すれば、被告等が、各原告に対し支払うべき慰謝料額は各金十万円をもつて相当と認める。

被告等は、原告等が本件事故により蒙つた損害については、近く自動車賠償保障法に基き、保険会社から合計金十三万千九百十七円の保険給付を受けることゝなつているから、これにより被告等の賠償義務はすべて消滅したが、仮に然らずとするも、右保険給付予定金額が賠償額から当然控除されるべき旨主張し、原告等が近く同金額の保険給付を受けることゝなつていることは、当事者間に争がないが、同時に、右保険給付金額が未だ現実に交付されてないことも当事者間に争がないところで、右のような保険給付予定の事実がその段階に於て被告等の原告等に対する賠償義務に対し、なんらの影響を及ぼすいわれのないのはもちろん、右給付予定金額が被告の賠償額中から控除されるべきでないことも亦明白である(尤も、本件口頭弁論終結後において、原告等が同法に基き、保険会社から右金額の保険給付を受けたときは、債務の内入弁済として、被告等の賠償義務が、右金額の限度において当然消滅することは、いうまでもない)。従つて、この点被告等の主張は採用できない。

よつて、被告両名は、連帯して各原告に対し、金十万円及びこれに対する本件事故発生の日である昭和三十二年六月十三日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、原告両名の本訴請求は、いずれも右の限度で正当としてこれを認容し、その余の請求は失当としてこれを棄却するが、仮執行の宣言は、本訴において適当でないからこれを付さないことゝし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九条、第九十二条、第九十三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浦野憲雄 村上博巳 鍋山健)

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